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サンプル2

以下は、実際に勉強会でお教えしている内容の一部分をピックアップして、サイト公開用に一部説明を加えたものです。不足している箇所もありますが、詳細は勉強会でご説明しています。
サンプルとして吟味して頂ければと思います。

テーマはカタカムナを取り扱ったサイトなどによく登場する「イヤシロチ」です。
本来の「イヤシロチ」の意味合いと、巷で溢れている「イヤシロチ」の解釈、その違いをご確認ください。

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「イヤシロチ」はカタカタムナ文献を紹介したサイト、書籍などで非常に良く取り上げられるテーマですね。
「ケカレチ」と合わせて、主に風水的な取り扱いとして紹介されています。

これは周囲の環境状況を視認して、標高の高い所や、植物の生育の良い所を結んだラインを設定し、それらが多く交差したエリアを「イヤシロチ」として、電気的活性が良いエリア(具体的には陰イオン濃度の高い エリア)を探す方法、またその場所のことです。

これも確かに「イヤシロチ」の一つの特徴ですが、「イヤ」「シロ」「チ」という言葉本来を意味合いを知っておくと更に理解が深まります。

まず「イ」という言葉には以前にもお話しましたように「電気性」という特徴があります。
カタカムナ文献は「カタ」を示しているのですから、「電気」そのものというよりは、他の段階との関係性において、電気的に機能している段階のことです。
「イカツチ」「イナツマ」などの言葉にその名残りがありますね。

では「イヤ」とは何なのでしょう?
世間では癒しブームで盛んに「癒し、癒し」と口にしますが、その意味合いは本当に癒しなのでしょうか?

文献に拠りますと「ヤ」とは、飽和状態にあること、つまりマックスにその単位において中身がつまっている
状態です。 原子で言えば、原子核の陽子の電荷に相当する電子がその周辺にある状態のことです。
ところが実際には原子は常にその中身がつまっている状態なわけではなく、イオン化という形で中身が足りない状態も存在しているわけです。ではいつも同じ部分の電子が一つ飛び出して、他の環境にある電子と交換されているのでしょうか? おそらくそうではなく、電子はいずれも新陳代謝して循環するように外域の電子と交換されているはずです。

これは動的平衡とも表現される状態であり、常に同じ状態は何一つなく、代謝され循環により交換されることにより、統計的な存在として、そのものが存在しているかのように見えているのです。
ちょうど公園の噴水の形状と同じです。それを構成している水は絶えず入れ代わっているのに、形状は大凡変わらないのです。
日本的に表現すれば方丈記の「ゆく川の流れは絶えずして…」「諸行無常」ということになるのでしょう。

つまり「イヤ」とは電気性のものがある単位を構成するのに飽和状態にあることを意味します。
では飽和状態が「癒し」なのでしようか?
日本語には興味深い表現があります。「卑しい」「嫌味」「嫌らしい」「否、嫌、厭」などです。
そうなのです。多くの場合、日本語において「イヤ」は否定的な意味合いとして受け取られているのです。

なぜそのように受け取られているのでしょう?
カタカムナ文献に拠りますと、それは代謝の悪さに所以していると思われます。
例えば、人体の新陳代謝などを連想してみてください。人体を構成している細胞などは、およそ一ヶ月で全身ほとんど入れ代わっていると言われています。もしその代謝の効率やタイミングが崩れれば、つまり飽和状態が続けば、それは途端に老化現象として表層にも現れてきます。つまり飽和状態のままでは、それは嫌悪される状態であり、それが効率良く代謝されてこその「癒し」なのです。代謝を示す「シロ」があってこそ…ということなのです。

「シロ」は現代日本語においても「身代金」などの「代」のように交換されるものとして認識されています。
色彩でいう「白、シロ」は新陳代謝の良い人の顔色などにその理由があるものと思われます。 (反対に内臓などに不調のある、代謝の悪い人の顔色は黒いですね。)

「シロ」の本来の意味合いは「連なりが示される」ということであり、それは現行の単位を構成している素材と、背景にある素材が、エネルギー性として機能しているものとして交換されることを意味しています。その連続性が示されているということなのです。ですから「イヤシロ」とは、電気的に飽和した状態のものが環境にある素材と活発に新陳代謝することを意味しているのです。

「イヤシロチ」の「チ」は、血液の「チ」、木曽路などと言うように「道」の意味の「チ」など、連続して繋がっていることを意味します。「ロ」が広がり連なるイメージに対して、「チ」は細い部分から内容物が持続的に伝達される意味合いがあります。これは以前にご説明したカタカムナ文献特有のボーダーの概念に拠ります。(※電気性を観測できる範疇とそれ以前の「アマ」方向にあるものの範疇では、その中間に「カカミ」と呼ばれる障壁のようなものがあり、そこを境に観測方法が異なることを、ここでは便宜的にボーダーと呼ぶ)そのボーダーを超えて、「カ」と呼ばれるエネルギーが変遷して持続供給されることを「チ」と呼んでいるのです。

「イヤシロチ」とは「カム」からの「カ」が持続供給されることにより「イヤ」の「イ」が代謝されることを意味している言葉なのです。
ですから特定のパワースポットなどと呼ばれる場所だけを意味する言葉ではないのです。
パワースポットなどの思想を持つ人々はより有名なパワースポットに行かなければダメだと思い込み、欲望を増幅させ、海外の有名スポットを渡り歩きます。より有名ならば有名なほど美容などに効果があると思っているのです。これはブランド品を買い漁る貧相な感性と全く同じで、同じイヤシロチでも、もっと優れた電気代謝が行える場所がすぐ身近に存在していても、それに気付くことすらないのです。
つまり感受性などが「鈍い」のです。
これは「癒し」というより、 前出の「卑しい」「嫌らしい」…などの「イヤ」の意味合いに近い感性と言えますね。

また電子の代謝という意味においては、長期的な滞在が効果的であり、一時的に有名スポットに行くよりも、全く誰にも知られていない「イヤシロチ」に長期的に住むことの方がはるかに効率が良いのです。
これはかつての政府スポークスマンが原発事故において「ただちに健康に問題はない」と言っていたことと、根本的には同じ意味合いであり、そういったエフェクトは少しずつ(ヅツ)じわじわと効いてくるものなのです。  


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サンプル3「トキトコロ」 相対性理論、量子論、超ひも理論などとの対比 その1をご覧ください。

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カタカムナ文献 その信憑性についての考察

 

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