↑ カムナミチの一例



「カタカムナ」と称される古文書による文献は、かつては発見者、解読者である楢崎皐月氏の残した資料、あるいは宇野多美恵氏の主催された相似象学会の会誌が、その数少ない情報源でしたが、現在では様々なメディアの発達により、その存在情報の希少性は薄れ、あたかも都市伝説のごとくインターネットなどに情報が溢れている状況です。
しかしながらその情報のほとんどは楢崎氏の解読した内容とは全く異なり、昨今のスピリチュアルや、神道などの宗教色が色濃い、いわゆる神秘主義思想へと歪曲されてしまっているのが実情です。現在、カタカムナはそのような人達の商材として扱われているようです。またそのような方向性は、現代人が持つ特有の病的状態であると前述のカタカムナ解読の先人達に指摘されているにも関わらず、そのような歪曲に気づかないのが、間違ったカタカムナ情報を流布する人達の特徴でもあります。

なぜ現代人はこの問題点に気づかないのか? 一つの例をご紹介しましょう。
「ワイルドな人」という人物像を連想してみましょう。もちろん一昔前のお笑い芸人の話ではありません。一般論としてのワイルドな人物です。
そうしますと大抵の場合、山や海などの自然の中で現代生活から離れた生活が可能な人、あるいは乱暴、乱雑で細かい配慮などを欠いた人などを連想するはずです。そのイメージは現代社会ではひとつのパターンとなっています。
では文字通りの「野性的な人物」と、この現代的「ワイルドな人」との違いは何か?…を検証してみましょう。
ある人物は「自分は知らない土地でもどこでも寝られるし、どんな食べ物でも平気で食べられる」と豪語します。またある人物は「自分は見知らぬ所では、何か安心できる状況が確認できるまでは寝付けないし、食べたことのない食べ物は、慎重に吟味してからでないと食べられない」と言います。一般的にはもちろん前者がワイルドな人物です。しかし果たして本当にそうなのでしょうか?
ここで野生動物を連想してみてください。野生の動物は捕獲されてどこかへ連れて行かれた場合、安全が確認できるまでは絶対に眠りませんし、食べません。また野生とまではいかなくとも、飼い猫などのペットも、引っ越しなどで住処が変わった場合、やはりその安全が確認できるまで眠りませんし、食べません。この事実を参照してみますと、現代人というものが、およそ野生からはほど遠い存在であることがご理解頂けるのではないでしょうか。このワイルドさのイメージの誤解からしてもそうです。現代人が野性的と勘違いしている人物象は単に「感覚、感性が鈍い」だけであって、決して野性的などではないのです。

これと同様にスピリチュアリティ、精神世界などの神秘主義思想は、現代的物質主義、拝金主義から離れているから優れている…というイメージがありますが、それは野生から離れた人間という種の方便に過ぎないようです。その証拠にこれらの神秘主義思想の背景には、現代社会では今一つ出世できなかったから、別の枠組みで成功して、現代社会のオルタナティブを狙う…という目的や、時間や金銭に余裕のあるセレブリティと呼ばれる層を取り込んでビジネスとしての成功を狙うという、いわば本来の方向性とは逆の指向性を持つ文化として定着しているという事実があります。また別の側面としては、現代社会が持つ多くの矛盾や軋轢で心を病んだ人達をターゲットにした集金システムという観点で捉えることもできます。
エコロジーなどの自然志向も、人間に優位性を持たせた「地球を救おう」などの高慢な考え方を持つあたりは、野生動物の観点からしますと、それがかなりおかしな発想であることが、心ある方々には容易に連想できることでしょう。人間の存在こそが地球に害なのです。これは「神様」といえばすぐに人間の形をしたものと連想する幼稚さとよく似ています。このように神秘主義思想は、表層のきらびやかさや、肯定的なイメージコントロールに惑わされているだけで、その内実は酷く醜いものです。しかし多くの人々はそのことに気付かないか、気付きたくないのです。
(※自然指向、精神性、心などを否定するものでは決してありません。むしろそれは現代社会においては非常に重要なものであると認識しています。カタカムナのスタンスについて、詳しくはこちらをご覧ください。)

これらに総じて言えることは、現代人は恐ろしく「鈍い」ということです。

人格障害やサイコパスという症状を持つ人物には、経済界の大物、政治家、芸能人、医者などが多いことが、これまでの様々な機関の研究で明らかになっています。つまりセレブリティのことですね。(もちろん、そういった職業の中にも、そのような精神疾患を患っていない人もいます。) またこういった研究の一環としての、サイコパス症状のあるセレブリティの聞き取り調査においても、その本人達が成功の秘訣として「鈍さ」を挙げているのです。センシティブであっては他者に配慮するようになり、それでは人を切り捨てられずに成功できないということなのです。このような研究から結論できることは、現代を生きる多くの人々が憧れ、そう在りたいと切望している人物像とは「誰よりも極端に鈍い人物(サイコパス、人格障害者)」ということになりますね。

カタカムナ文献はそういった鈍い人達にはおよそ分かり得ない、本来の野生を維持している人達により編纂されたものであり、現代人において、それを理解するためには、前述の「鈍さ」が少ない人物であることが必須条件でしょう。それは何にでもおびえてビクビクしているような人物像でもなく、他者に配慮できず傍若無人に振る舞うような人物像でもなく、そういったバランスを「個」対「個」ではなく「個」対「環境」として対処できる人物像です。しかしながらそういった人物は、おそらく現代社会では変人、変わり者、世捨て人、ダメ人間、目立たない人…などとして位置づけられているはずです。(宇野氏は、それを「少数者」と表現されましたが、この意味を取り違え、自分自身の悪行を原因として現状の生活がうまく行かないことを「少数者だからだ」と世間に責任転嫁している人もいるようですが、こういった自分優位な錯覚をする人は、いわゆる「多数者」です。真の「少数者」は、自分の失敗については内省する傾向にあります。)

当会では、宇野氏や楢崎氏所縁の研究者の方々から学んだ経験や、サンカと呼ばれる一般には被差別民と捉えられている方との接触による経験から、昨今のカタカムナ文献を取り巻く歪曲情報に異を唱えるとともに、なるべく本来に近い形でカタカムナ文献を残す必要があると考え、数年前より自身の研究だけに留まらず、心ある方々にはその内容をお教えしていこうと考えるようになりました。 巷にあふれる幼稚なカタカムナの会合に辟易されている方や、その期待はずれの内容にがっかりされた方、そういった方々にこそお教えすべきだと考えています。 カタカムナは「カタ」と「カムナ」という抽象概念を用いて、様々な事象を表すことができる、代数的な位相幾何学に近い学問です。(この私の見解につきましては、生前の宇野氏ともコンセンサスを取っています。)
「カタカムナは本当は勉強などではない。私があなたにうつりますように、あなたが私にうつりますように…」そうおっしゃって、膝を突き合わせ、手を取ってお話してくださった宇野氏のご恩や愛情に少しでもお返しできることを願っています。
これは既存のいわゆる学校教育的な勉強でもなければ、神秘主義的な超能力などの低次な思想の類いでもなく、お婆さんと孫とか、恋人同士とか、そういった親しい関係における愛情のような意思疎通に近いものです。
これが民族の血のように連綿と続き、日本人は他国とは異質な「和」のメンタリティーを現代においても辛うじて有しています。
それは日本民族のみが持つカタカムナ的発想の名残なのではないでしょうか。



お教えする内容のサンプル   「トキトコロ」量子論、超ひも理論などとの対比2…を追加しました。

カタカムナ文献 その信憑性についての考察
   事前説明の参考にご覧ください。を追加しました。

カタカムナ文献 心、勘、直感、生物的本能について    カタカムナの示す人間の心情などについて。
                                言霊信仰などについて追記しました。

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